当社は1987年に私の父、河原司男(現会長)が船体ブロック製造を主事業として創業しました。広島県三原市に船体ブロック製造などの鉄構造物事業を担う鷺工場と、広島県福山市瀬戸町に歯車事業部を担う瀬戸工場を有しています。
ー 船体ブロックなどの大型製造と歯車という精密製造をどちらも手掛けていらっしゃるのですね。
そうですね。当社の強みは、精密製造を得意とする技術力の高さと、コスパ抜群の価格設定、そして何と言っても融通が利くところです。管理体制がしっかりしているので、突発的な理由で計画が変わっても柔軟に対応することが可能です。
おかげでお客様からは「なんとかする鳴滝」という認知をいただいております(笑)。そんな当社のモットーは「仕事は断らない」こと。お客様のご要望や多様化する社会に「変幻自在」に応えていくことを大切にしています。
若いときは「こんな鉄工所なんて美しくない!」と毛嫌いしていたのですが、今ではすっかり鉄工所のオヤジとして楽しく仕事をさせてもらっています。
ー 以前はご自身の仕事に納得がいかない面もあったのでしょうか?
納得がいかないというより、業界をよく知らなかっただけですね。実は私は音大でピアノを学んでいて、大学院まで卒業しているんです。ベートーヴェンやショパンを弾いていたのに鉄工所を継ぐなんて!という思いがありまして(笑)。
ただ、大学院を卒業した時点で父親から「年齢も年齢だし、一旦社会に出てみろ」と言われたのをきっかけに、現在の歯車事業部の前身の会社が有していた中国工場で働くことになったんです。
いきなり中国の駐在員になるのも面白いかなと思って軽い気持ちで修行に行ったところ、1年ほど経ったときにその会社が倒産してしまって。それで鳴滝工業有限会社が事業承継することになり、同タイミングで私も入社し、歯車事業部を任されることになったんです。
ー 社会人になってわずか数年で事業部の責任者になったのですね。
決算書も読んだことがない若造でしたから、事業部運営の方法なんてまるで分からず、最初は非常に苦労しました。
山口大学のMOT(Managimment of technorogy)で、経営者の意思決定や投資判断、数字の見方、事業構築方法などを勉強しながら、なんとか中国との価格競争に巻き込まれないように、独自の強みをいかして戦う方法を模索してきた数年間でした。おかげでコロナ禍で業績が不安定な面もあるものの、お客様やスタッフに支えてもらって事業を継続することができています。
そして営業やマーケティング面で非常に力強いサポートをしてくれたのが、今回ご紹介するテクノポート株式会社です。同社にホームページを制作していただき約1年4ヶ月が経ちますが、早々に制作費をペイできるくらい新規お問い合わせをいただいています。
自分たちのマーケットは想像以上に大きいことを教えてもらった